私は、
禅とパンクスを融合させた新宗教『禅クス』の教祖兼信徒である。
例えば禅の言葉、「不立文字」「教外別伝」は要するに
「言葉じゃ真実はわからねえ」「教科書なんかいらねえぜ!」と言う事であり、
尾崎某かも言ってたような気がするし。
そんな
禅クス原理主義者の私とは宗旨の違う方々の話で、例えば此度のガザ侵攻、シオニズムにより故郷を求めるユダヤ教徒のイスラエル人と、故郷を追われたイスラム原理主義のハマース。なかなか複雑で、どちらが正しいだのと言う事は若輩の私には無論できるはずもない。
ところが日本人の悪い癖として「宗教を知らない癖に宗教を馬鹿にする」というものがある。良くて
「何を信じるかは勝手じゃない?私は信じないけど。スイーツ(笑)」か、悪ければ
「居もしない神を信じるなんて馬鹿じゃない?婚活(笑)」である。
宗教とは善悪の判断の規範である。
基本的に人間がする事で、何が良くて何が悪いかの判別は全て聖書聖典によるものである。
よく
「なぜ人を殺してはいけないの?」と
スネカジリどもが真剣に喋り場で喋っていたりするが、その答えとしてお偉い方々ですら「社会が成り立つ為に~」だの「人間の道徳心とは~」だの、まるで見当違いな事を言っている。
なぜ人を殺してはいけないかというと、聖書にそう書いてあるからである。
イスラム教ならばコーランに書いてあるからだし、仏教ならば不殺生戒が定められているからである。
後世の人間が曲解して
「キリスト教徒じゃない者は人間じゃないから殺してよし。アーメン」と言い出したから殺してる訳であって、少なくとも人を殺して良い悪いの規範は聖書聖典によるものだ。
ユダヤ教やイスラム教、ヒンドゥー教では豚を食べるのはご法度である。聖典にそう書いてあるからだ。
だが、ユダヤ教から発展したはずのキリスト教では豚OKである。
何故ならイエスキリストが
「豚?いいよ食べて」と言ったからである。それを元に聖書を作ってある為に豚OKなのだ。
聖典が絶対なのである。
無論それは後世の人間によって改ざんされる事が多い。元々イエスキリストは
「同性愛?ありあり」と言う、割かしゆるい考え方の人間だったようで、キリスト教も教会が絶大な力を持つまでは同性愛もOKだったのである。
それが途中から教会による聖書の解釈で同性愛者は火あぶりとなったのである。
改ざんというと誤解をまねくが、聖書は絶対にいじっちゃダメなので「解釈」を変えるのである。
「ここにこう書いてあるのはこれこれこうすると、
NYグラウンドゼロの予言だったんだよ!(ry」と言う解釈である。
この聖書の解釈ひとつで絶対的な善悪の基準がガラッと変わってしまうので、この
「解釈権」を得る事は世界の王となるも同じだった。だからそれを巡って同じキリスト教圏で戦争が起こったりもしたのである。
話が逸れたが要するに、日本人は善悪の判断、いわゆる道徳と言うものを決定する聖典を持たない為に、宗教感情というものが判らないし判ろうとしない。
日本人に信心がない訳ではない、今年も初詣に行ったら
掃いて捨てるほど居たし。それはイベントではないのかと思うかもしれないが、
頑張れば女とヤレるクリスマスと違い、クソ寒い中、金を払ってまで人ごみに行きたがるのは何の得もない行為であり、それはやはり信心である。
だが神道に聖典はないし、仏教の経典はと言うと宗派でバランバランだ。原始仏教に最も近いのは禅宗の曹洞宗と言われているが、禅はそもそも経典を否定している。
結果、古来より日本人にとって善悪の判断の規範となるべきものは、「聖典」ではなく「世間体」だった。
「悪い事」とは、聖典のある信徒にとっては「聖典にやってはいけないと書いてある事」であるが、日本人にとっては「世間様に顔向けできない事」「村八分にされる事」であり、それが「和」の精神に繋がる。
世間体と言えば現在では悪い意味として使われる事のほうが多いが、元来は日本人が最大公約数の道徳を決める際に必要なシステムだったのである。
ところが戦後、アメリカより輸入された「個人主義」により、それが破壊される事となる。
「個人主義」とは無論、個人を尊重するものであるが、元々それは聖典を持つ宗教が基盤にあって初めて成り立つものである。
聖書に「家族を愛しなさい」とあり、家族で愛し合う基盤があるからこそ、その上で個人を尊重する事になんら問題はない。
ところが日本ではその基盤が「世間体」と言うシステムであり、「個人主義」は「世間体」の上に乗るものではなく、相反するものである。
「世間を気にせず好きな事をやればいい、だってオンリーワン(笑)」とほざいてみても、聖典と言う道徳の規範を持たず、世間体と言うシステムを失った日本人がそれをやると「個人の自由」は単なる
やりたい放題の大義名分でしかなくなる。
結果、日本でのコミュニティの最小単位が「家族」から「個人」に変わり、バランバランのままゆっくりと崩壊していくしかなくなっている気がしてならない。
そうして足元がゆっくりと瓦解してゆく事に気付かず、最も大事にすべきである道徳の基盤を一切無視して理想のみが空回りした
「何よりも先ず人権」だの
「核は使うな」だの「
命を大事に」だの、
ドラクエみたいな事を言い出す人々に、
人間なんて箱○より壊れやすいんだよ、貴方の大好きな人権にレッドリングが点きますようにと唱えてやりたい思いなのだが、おかしいな当初はイスラエルのガザ侵攻の話から
上手くメテオスウォーズに繋げるつもりだったのだが
繋がらなかった。すまん。