日本の歴史を省みるにあたって思う事は、良い人である事と政治家としての有能さは相反していると言う事である。
日本史において幕府を創設した人間は3人居る。
その前に、そもそも
幕府ってなんぞ?と、
とりあえず将軍がいるんじゃね的な漠然としたイメージしか湧かない方の為に簡単な説明をしておくと、幕府とは元は
前線基地である。
大本営本部である京の天皇家から、征夷大将軍という名の突撃隊長に任命された野郎が、坂東(関東地方)を制圧する為にやってきたものの、「あいつ殺していいっすか」「この土地も制圧していいっすか」といちいち許可を取るのが面倒なので、天皇家が「その辺に前線基地作ってキャンピングして、ある程度お前の裁量で決めていいよ」と言ったのが大体の始まりだ。
平安時代の政治と言うのは、平和平和いってて国民を守るのに絶対必須な軍事力を一切放棄し、ママゴトみたいな政治しかしない、
まるで今の政治そっくりなお遊び貴族政治である。もっとも平安貴族は軍どころか警察業務まで放棄しているが。
さすがにそれだと
世紀末的ヒャッハー天国になるので、身分の低いものを治安維持にあたらせた。
これが
けびいし(
検非違使)である。検非違使は治安を維持したり
平安京でエイリアンを穴に埋めたりした。
やがてこんなママゴト貴族政治に武士たちが怒り、
「おれ達の利権も考えてくださいよ、おれ達も土地とか参政権とか欲しいッス」と言ってみたものの、
「お前ら野蛮人にやるわけねーだろつーか戦争反対!武士は平和の敵!自衛隊撤廃!平和平和!憲法9条を守れ!」とゴネる平安貴族に対し、とうとう
武士たちはブチ切れた。
そうして武士たちは頂点に
源頼朝を置き、関東に前線基地を置いていた頼朝は見事、天皇家や貴族たち、貴族政治に食い込んでいた平氏から政権を奪い取った。
武家政権の始まりであり、前線基地を越えた「武家政治拠点」ともいえる鎌倉幕府の始まりである。
これがすなわち幕府創設の1人目、
鎌倉幕府の源頼朝だ。
2人目は、鎌倉幕府をぶっ倒した後醍醐天皇や楠正成率いる南朝軍団を壊滅寸前にまで追い込み、
室町幕府を創設した足利尊氏。
3人目は戦国の世で天下統一を成し遂げ、世界でも類を見ない250年王国を築いた
江戸幕府の徳川家康である。
このうち、徳川家康はイメージが湧きやすいだろうと思う。たぬき親父だの腹黒いだの、冷徹だの非情だの色々な言われようをしているからだ。
次に源頼朝だろう。頼朝本人はいまいちイメージが沸かないかもしれないが、頼朝の弟の
義経と言えば
牛若丸に弁慶だの、
鵯越の逆落としだのと有名である。そして実弟である義経を最終的には処分した人間として、しばしば頼朝も非情の人と言われる。
そして最もイメージが湧きづらいのが足利尊氏だろう。
名前は社会の教科書に出てきたから漠然と覚えてるけど、誰だっけ?と、まるで合コンの席で「
お前呼んだっけ?誰に呼ばれたの?」などと言われかねない勢いだ。
この知名度の違いは何かと言えば、結局
成し遂げた偉業の違いである。
頼朝は武士の武士による武士のための政治、武家政権を築くと言うビジョンを持っていた。
弟の義経は軍事的にはすさまじい天才だった。当時、誰も考えつかないゲリラ的な戦法を次々と実践し、圧倒的有利であったはずの平氏を滅亡にまで追い込んだ。
ところが義経は、この戦争には「天皇家や平安貴族から政権を奪い取る」という最大の目的があったにも関わらず、
当の天皇家から褒美や地位をもらって小躍りすると言うとんでもない事を平気でやらかし、当然頼朝に怒られた。
「お前天皇家から褒美もらって喜んでどうすんの?示しがつかねーじゃん!」
「え、だっておれ活躍したし…平氏滅ぼしたじゃん…」
「いやだから、トップの弟であるお前がそんなことしたらみんな天皇家に褒美もらいに行くじゃん。そしたら天皇家の思う壺で、政権奪うなんて出来なくなるだろ!?」
「えーでも…いいじゃんこんくらい…おれ頑張ったし…」
「
(ダメだこいつ…早く何とかしないと…)」
という、
目的のわかってなさっぷりを見せ付けた義経を処分してまで、頼朝は初志である武家政権の確立を貫徹させた。
家康はライバルであった豊臣家を滅亡させ、まだ幼い子供を処刑してまで徹底的に対抗勢力を完全抹殺し、戦国時代を終わらせ和平の時代を到来させた。
しかし足利尊氏と言う人物は、軍事においては類まれなる才能を持っているものの、非常に無欲で心が広く、情に厚く、部下や家族思いで、誰にでも好かれると言う人格者であった。
祭日のたびに色んな大名から贈り物をされても、すぐに部下や周りの人間に分け与え、自分は全く手中にしないままその日のうちに無くなったと言う。
南朝を追い詰め室町幕府を創設し天下を取った時ですら、「天下とかいらないから全部弟にあげます、弟をお守りください」と言う願文を清水寺に奉納し、実際に全ての政権を弟に譲ったと言う、
なにこの聖人っぷりである。
しかし優しすぎるがゆえに、対抗勢力を抹殺することができずに、結果日本を
血で血を洗う戦国時代に突入させる原因を作ってしまう。この場合の対抗勢力とは弟の事である。事実この後、尊氏は政権を全て譲った弟と争うことになり、和平とは程遠い結果となってしまった。
長きにわたる和平を築く、と言う目的を達成するならば、頼朝や家康のように弟を早めに抹殺しておくべきだったのである。
結局「どんな手を用いてでも対抗勢力を、徹底的に叩いて女子供1人残さず抹消する」と言う非情な事ができない限り、平和を築くことなどできない。
有能な政治家とはそうしたもので、普段の生活ならともかく、こと政治の世界においては
いい人であることは優柔不断であることなのだ。
これは政治家個人ではなく国でも同様である。
チベット自治区で多数の死者を出した中国も、「中国を発展させる」という目的からすればその非情な行為も必須だったと言える。何しろチベットやウイグルなどの「自治区」を失った中国は、人口は大して変わらないのに国土が3分の1になり、そうなると10億を超える人間を食わせる事など出来やしないのである。
だから何が何でも独立を許さず、圧倒的軍事力を持っていくら死者を出そうとも制圧しきる。
無論これは中国から見た都合であって、少なくとも民主国家を表明する先進国において許される事ではない。が、多かれ少なかれ自国の利権を守ろうとする先進国は得てして似たようなものである。
しかし現代の日本はこういう事が一切できず、八方美人に徹してしまいがちだ。
世界から「いい人」と言われても、真の平和をもたらすと言う目的を達成できなければ意味はないのである。
結局何が言いたいかと言うと、
シーシェパードはとっとと北朝鮮籍不審船よろしく20mm砲でバラせ。非情と言われようとそれは平和的に捕鯨を続けるに必須である。
なあに
クジラの餌になれたら彼らも本望だろう。